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研究・開発の歴史


「現時点で自分達ができる、最良に医療を患者様に提供し続けていく。」そのためには常日頃、切磋琢磨し、研究・開発し続けていくということが、誠仁会設立当初からの理念です。
この理念の元で30数年間歩んできました。現在、透析業界では日本でも屈指の施設の一つに数えられるようになりました。それは透析関連機器を始めとするハード面、透析の安全性と効率を追求するソフト面の両方をバランスよく求め続けた結果だと思います。これらを理解できるように当院の歴史を少し語らせていただきます。
※画像はクリックすると拡大します。

1975年

千葉市に「京葉泌尿器クリニック」として開設
当時は軟水装置のみの水処理(Fig.1)、酢酸透析液、コイル型ダイアライザを使用(Fig.2)していました。透析は5時間以上で10年以上を長期透析と呼んでいました。
その後4Fには動物実験手術室(Fig.3)、ME研究室(Fig.4)、ME実験室(Fig.5)を設置し研究・開発の基礎が作られました。

Fig.1

Fig.2

Fig.3

Fig.4

Fig.5

1979年

コイル型より透析効率の高いKFH型(Hollow Fiber Kidney:中空糸型ダイアライザ)に移行、両方のダイアライザを使用可能なコンバータ(RSPをSPへ変更できるユニット)を開発(Fig.6)

Fig.6

1980年

除水精度向上を目的とした定圧回路の開発、HFKに対応したコンソールS-11の開発

1981年

千葉市の複数の透析施設で発生した、水道水中に含まれていた物質が原因と推測される同時多発難聴の対策として逆浸透装置(RO)の導入(Fig.7)
当時全国で最先端の装置であった。
現在の日本透析医会発行の「安全な透析操作マニュアル」の基となる「血液ポンプを使用しない落差返血」の開発
将来の長期透析を予測し、透析患者の動脈硬化の研究のために当時千葉大学医学部の白井厚治先生と共同でPWV(大動脈脈波速度)の研究を開始(Fig.8)。やがてこの研究を基礎に2004年CAVIへ進化することになる。

Fig.7

Fig.8

1983年

重曹透析液の使用。透析装置のヒーターとトラブルを経験し、「末端で透析液を加温しないシステム」の開発(Fig.9)
これにより透析液のpH安定性が格段に向上した。1995年
透析装置内から透析液加温用のヒーターを外し、ベッド・透析用イスと一体式になるKPM-1の開発(Fig.10)

Fig.9

Fig.10

1985年

透析時間短縮のためにPRODISの開発と導入
透析アミロイド症予防のためにハイパフォーマンスメンブレン(HPM)と除水コントローラの導入

1987年

医療物品(血液回路のメッシュ)が原因と推測された「同時多発発熱事件」を契機に当時としては画期的な重曹タンクの洗浄・消毒の実施(後の透析液清浄化と呼ばれる。日本でも最先端の事項)

1989年

清浄化のモニターにエンドトキシン測定装置(リムルスES-testワコー)を導入した(Fig.11) 透析施設への導入は日本初の出来事であった。
PWVによる透析患者の動脈硬化の進行に血管石灰化が関与することを突き止め、大動脈弓部の石灰化度(AACS)を開発し測定を開始する(Fig.12)。

Fig.11

Fig.12

1991年

当時としては画期的な重曹タンクの自動消毒・洗浄装置の開発(Fig.13) これにより清浄化が飛躍的に進歩した。

Fig.13

1992年

劣悪であった千葉市の水道水対策にRO装置の前に中空糸型UFを設置した装置の開 この装置は現在PUFとして商品化している。

1995年

みはま病院へ改名
透析アミロイドーシス対策のためポリスルフォンダイアライザ(PS)の使用を開始する。

1996年

千葉県災害時情報ネットワークの組織
阪神淡路大震災を機に透析患者の情報を一元化する試みの開始(Fig.14)。当院が本部となり現在でも実働中

Fig.14

1997年

離断トラブルの多かった血液回路の接続部分にルアーロック式を採用
現在では常識であるが当時としてはかなり早い時期での導入であった。

2000年

日本透析医会災害時情報伝達の運用開始。当院が本部を務めた(2011年まで)。

2004年

CAVIの開発を開始(Fig.15)、ABIの測定開始

Fig.15

2006年

(国内)水処理装置の熱湯消毒が開始(成田分院)される。
更なる清浄化の向上が実現。
培養法に代わる新たな試みとして「蛍光染色法を用いた細菌検出法の研究(バイオプローラ)」を開始する。
透析剤の導入開始
診療報酬のダイアライザがⅠ~Ⅴ型に分類される。誠仁会のⅤ型使用率が85%以上で日本でもトップクラスであることが判る。
全国でも先駆けて透析用標準化回路の使用を開始する。
これまでの透析関連機器開発の経験を生かし、より安全で作業効率の高い全自動マシーンの開発を開始する。同時にそのノウハウを生かした特許の取得に望む。
(海外)海外学会(EDTA、WBC)への参加を機に、海外の透析の状況調査を開始する。ISI会議(Wien)へ参加

2007年

(海外)ASNへ「蛍光染色法を用いた細菌検出法の研究(バイオプローラ)」を発表する(Fig.16)。
ISO会議(天津)へ出席、中国の透析事情見学
米国(フィラデルフア)の透析事情の見学(Fig.17)を開始

Fig.16

Fig.17

2008年

(国内)全自動マシーンSPM-1が認可を取得し臨床使用を開始(Fig.18)
透析液配管に封入方式を開発し運用を開始する。同時に本法の特許取得を開始する。

Fig.18

2009年

(国内)透析患者さんに有害な可能性が指摘されていた酢酸を含有しない多人数用無酢酸透析液を900名に臨床使用する。多人数では全国でも初のケースであった。
後に透析液作製(濃度、ガス、イオン化等)のノウハウが飛躍的に向上するこことになる。
(海外)韓国の海外の透析事情見学(Fig.19)
ヨーロッパの海外の透析事情見学(スエーデン、ドイツ、フランス)(Fig.20~22)
米国の透析事情見学(サンディエゴ)

Fig.19

Fig.20

Fig.21

Fig.22

2010年

(海外)ISO会議(米国、Orland)へ出席 ASN参加と合わせ、会場内でクエン酸透析液の開発者と意見交換(Fig.23)
米国の透析事情見学(デンバー)

Fig.23

2011年

(国内)東日本大震災の経験
新本院へ移転これまでの国内、海外の見学で得た多くのノウハウで計画された透析システム・設備を導入した。
全自動マシーンSPM-1を更に改良した最新のSPM-2の認可取得
(海外)ASN参加と合わせ米国の透析事情見学(クリーブランド)(Fig.24)

Fig.24

2012年

(国内)SPM-2の臨床使用開始(Fig.25)
オンラインHDF用SPM-2の臨床運用開始(Fig.26,27)
誠仁会の歴史をかい摘んで説明してきましたが、研究・開発はまだ過程であり完成していません。 これまで豊富な海外見学を基に日本の優れた技と海外の視点の異なる術の良い部分を融合させた技術の開発に全力で望むつもりです。

Fig.25

Fig.26

Fig.27